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2011年11月19日土曜日

◆初めてのベトナム、共産国への入国

今日は勉強は一服して、2001年にベトナムハノイへ行ったときのことに
ついて、話したいと思います。

当時共産国にはあまり行ったことのないわたしにとって、ベトナムのハノイは
共産国だけどどんな国なんだろうという、少し不安な気持を感じながら行った
のを覚えています。

■移動
その頃はまだ日本からの直行便がなかったため、まず最初は成田から香港
へ飛んで、そこで乗り換えてハノイへ飛んで行きました。香港までは4時間前後、
香港からハノイへは2時間くらいだったと思います。

香港空港でのトランジットでは、JALを下りてからハノイ行きのゲートまで
移動をするのですが、指定されたゲートのところへ行っても「Hanoi」の表示
がありません。ゲートの表示は「河内」となっています。

おかしいなーと周りを見回して見ても、どこにも「Hanoi」はありません。
そうこうしていると表示盤の表示が反転しました。そして「河内」が「Hanoi」
に変わったのです。「なあ~んだ・・河内ってもしかして Hanoi なんだ!」

どうもハノイは昔大きな河の中州にできた都市だったようで、その名の通り
呼び名が河内となったようです。

■入国審査
ハノイのノイバイ空港へ着くとすぐにイミグレーションで、4列に並んで入国
審査を受けます。係官はみな口を閉じた強面の面々で、笑顔で「ようこそ!」
という顔の人は一人もいません。

また、並んでいる人達は、欧米人、東南アジア、韓国・台湾などのアジア人、
日本人など種々雑多で、色とりどりの服を着ていました。

しかし入国審査をする係官や入国する人達を取り囲むように立っている人達は、
全て深緑色の軍服のようなユニフォームを着ていて、少し異様な印象でした。

審査では何度も顔をじっとながめられましたが、目を逸らさずじっと見返して
いたら、特に質問もなく無事通過です。質問されてもとにかく日本語でやり通
して、「話しが通じないからもういいです・・」となるように対応しようと決
めていましたが。

■荷物引き取り
通関後、預けたスーツケースを受け取りに行き、レーンの前に立って待ってい
ましたが、なかなかレーンが回り出しません。入国審査は割合スムーズだった
のですが、その後の荷物引き取りがまったく進みません。

到着ロビーに会社のドライバーが来て待っているはずなのですが、なかなか出
ていくことができません。

10分くらい経ってからようやく回り出しました。でもその上に乗っているス
ーツケースはパラパラです。飛行機から小さなワゴンで少しずつ荷物を出して
きて、それをゆっくりレーンに載せ、そしてまた飛行機に取りに行く・・を繰
り返しているようでした。

結局自分の荷物を引き取ることができたのは35分後でした。
ハノイはとても時間の流れがゆったりとしていて、人々はスローな人生を楽し
んで送っているように見えました。(少し皮肉です)

そのときは長い時間を待たされて腹が立つというよりは、あまりにも日本とペ
ースが違うため、「こういう国もあるんだなー」と感じ、そして逆に「日本人
は何てせっかちなんだろう」と少し反省する気持になったのを覚えています。

■無事迎えとご対面
荷物を受け取り到着ホールへ出たら、わたしの名前を書いた四角い紙を持って
いる人が目に付き、その人に近づいて行くと「○○さんですか?」と聞いてき
ました。

見た感じはベトナム人ですが、日本語が話せるので会社の通訳だったようです。
ドライバーと通訳の2人で迎えに来てくれたのでした。

2011年10月31日月曜日

◆ベトナムハノイでの夜の貴重な体験

ベトナムは好きなアジアの国の1つです。そして首都であるハノイにはいろい
ろと思い出があり、何度も出かけました。

最初はベトナムは怖そうな雰囲気のある共産国家という印象でしたが、あとに
なってからはとても素朴で正直な人が多かったというように思っています。

今回はそういう強い印象を感じた1つの体験について、書きたいと思います。

当時の状況
当時はハノイ市内のホテルの部屋を長期契約して、割安な価格で借りていまし
た。そして来たばかりのまだ地の利のわからないわたしは、会社のドライバー
が毎日朝晩送り迎えをしてくれていました。

そして少しずつ街の道路地図や状況がわかってくると、いつか一人で探検して
みようと思うようになりました。

ハノイは非常に治安が良いため、夜になってからスナックやクラブに出かけ、
ゆっくりとお酒を飲んでから、タクシーで帰ってくるということができると聞いて
いたからです。

単独行動
あるときの夜、会社の帰りに同僚と日本料理店に行き、いろいろと食べたあと
いよいよ行動を起こしました。同僚には少し街をぶらぶらしてから帰ると言って。

地図を片手に街をぶらぶらと歩き、ようやく目的の日本人スナックを見つける
ことができたので、中に入っていきました。実はその日は偵察が目的だったの
で、中に入ったらすぐにカウンターに座り、一杯飲みながら店内の様子をゆっ
くりと観察をしたわけです。そうです、情報収集です。

タクシーでホテルへ
そして頃合いを見てタクシーを呼んでもらい、車に乗り込みました。
次回はもう1ステップ進めるぞ・・と心で誓いながら。

車に乗り込んで運転手に、
Hanoi Hotel please.
というと、
OK!
と言って走り出しました。

ずい分調子よく返事をしてくれたので、もしかして英語が話せるのかなと思い、
Do you speak English ?
と聞くと、あっさりと
No.
という返事。

こちらはベトナム語は「こんにちは」と「さようなら」しか話せないので、何かトラ
ブルがあると困るな・・と少し心配しながら、街の風景をしっかりと眺めていまし
た。

へんなところへ行かれたり、同じところを何度も通って高い料金を請求されて
も困るためです。

料金の支払い
ところがそのような心配はまったく必要ありませんでした。あっさりとホテル前
に到着しました。ホッと安心しながら料金を払おうとして車のメーターを見ると、
「11」となっています。

ベトナムでは流通貨幣が「ドン」なのですが、「米ドル」もほとんどの場所で普通
に使うことができますので、いつも米ドルをもっていました。そしてタクシーの
メーターが「11」だったので、すぐに11米ドルと思ってその紙幣を運転手に渡
しました。

すると運転手は車を降りようとするわたしに、
Wait, Wait !
と言って、1ドル紙幣1枚だけを取って、もう1枚の10ドル紙幣は返してきた
のです。

そのときは「良いのかな?」と思いながら「 Thank you. 」と行って部屋に戻
りました。次の日同僚にその話をしたら、実はそれで正しかったのです。
メーターの「11」はベトナム通貨「ドン」で「11,000ドン」の意味だったので
す。

円換算すると当時のレートで、 11,000×0.008=88円
「11」は「11,000ドン」の意味で、「88円」だったのです。

だから1米ドルだけを取り、残りを返してくれたのです。
わたしはその正直さに本当にびっくりしてしまいました!

そしてそのとき思いました。「中国では帰ってこないだろうな」・・と。
  

2011年6月4日土曜日

◆英語に救われた経験(2)


当時のハノイノイバイ空港のチェックインはコンピューター化されておらず、
手入力でペーパー上でのチェックや確認で、1人1人の手続きにものすごく
時間がかかっていました。一人に15分以上かかるため、長蛇の列ができて
いました。

一度ぎりぎりになってあせったことがあるため、いつも余裕を持って
行くようにしていました。

チェックインを終わって手荷物検査行い通関が終わると、更にもう一つ
ゲートがあります。

そこでノイバイ空港の使用料、US$14を徴収されます。
(現在も徴収されているかはわかりません)


香港行きはゲート1なので、その付近のイスに座り本を読み始めました。

一人で海外の空港を移動するのですから、間違いがあってはならないため、
いつもゲートの前かゲートの様子が見えるイスに座るようにしています。

その時も土産を買ってからゲートの前へ移動し、近くの席で本を読んで
ゲートが開くのを待っていました

通常出発時間の20分くらい前までに係員がきてゲートや扉を開け、
飛行機に乗り込むための準備を始めます。

ノイバイ空港は小さい空港なので、そのくらいの時間から準備しても
全然問題ないからです。

ところがその時はその時間が近づいても係員が一向にやってきません。

おかしいなぁと思っていると、マイクでアナウンスがありました。
ベトナム語はわからないのでパスして、その直後に流される訛りの強い
英語を聞いて、何を言っているのか理解しようと努めました。

海外に一人で出かけると、結構こういう局面に直面します。
予定に変更がなければ特に問題ないのですが、変更が生じるとアナウンス
で知らされることになり、それを聞き取れなければなりません。

意識を集中して聞き、何とかわかりました。
使う飛行機の到着が遅れているため、出発が少し遅れるとのこと。

仕方ないなと思いながら、また小説を読み始めました。

更に10分ほどしても動きがないので、そのまま小説を読み続けて
いました。

そうしておもしろい箇所を読んでいるとき、またベトナム語でアナウンス
を始めたので、特に注意を払わず読み続けていました。

アナウンスはさらに続いており、どこからか英語に変わって放送して
いました。

最初は特に意識を向けていませんでしたので、頭の中の翻訳機能が作動
していなかったのですが、どこかでピーンとひっかかるものがあり、
意識をアナウンスへ向けると、
「....change the gate....」というキーワードでした。

すぐにもしかして・・と思い、繰り返しのアナウンスを聞き直すと、
機体がまだ到着していない。
どうも機体の到着は大幅に遅れそうだ。
予備の機体を出す。
ゲートを替える。

と言っているようでした。
(訛の入ったベトナム英語だったので聞き取りにくくて、
細部はカンピューターの処理結果です)

そうしていると、他の待っていた乗客が少しずつ席を立って別の方向へ
移動して行き始めました。

ぽつぽつとしての移動だったので、本を読むのに夢中になっていたら
気がつかなかったと思います。

アナウンスを何となく聞き分けることができたので、その移動を見て
すぐにピンときて、自分も遅れずに同じ方向へ移動して行きました。

するとそこは9番ゲートで、そのゲートからどんどん中へ入っていき、
別の飛行機に乗り込んでいるではありませんか。

そして確かに行き先が「香港」になっています。
飛行機に何とか遅れずに乗り込むことができました。

そして、機内の自分の席で機内サービスのなま暖かいビールに氷を
入れてもらって飲みながら、

「乗り遅れたら大変なことになっていたなぁーー」
「英語をやっていて本当に良かったなぁーー」

と思ったものでした。

2011年5月25日水曜日

◆香港トランジットのとき英語に救われた体験

ちょいと一服して、海外で英語で救われた体験を書きますので
読んでみてください。

ベトナムへ行く前にその準備として、社内の英会話教室を受講したわけ
ですが、このあとたとえ3ヶ月ですが英会話を勉強したことで救われる
という経験をしました。

ベトナムには派遣で行く前に、一度だけ出張で行ったことがありました。
そのときはベトナムへの行き方がわからなかったため、先に行ったことが
ある人と一緒に行きました。

当時ベトナムへは日本から直行便がなかったため、成田から香港経由で
ベトナム、ハノイへと移動していました。

そして自分が派遣でハノイへ移動するとき、前回しっかりと行き方を
チェックしていたので、「一人で大丈夫です・・」と大見得を切って
一人で移動したのです。

ところが2回目は1回目と何から何まで変わっていたため、乗り遅れる
寸前のぎりぎりで間に合うということになったのです。

といいますのは、第1回目のときは成田からJALに乗って香港へ移動
しました。

そして次は飛行機を降りてからトランジットのカウンターへ行き、
そこで乗り換え手続きを行い、その横から中へ入り手荷物検査して
ベトナムエアラインのゲートへ移動しました。

次は一人で行かなければならない可能性があることを知っていました
ので、道中を良くチェックしてはっきりと覚えたつもりでした。

ところが2回目のときには、同じトランジットのカウンターに行ったら、
「ここではありません!あちらの方へ!」
と英語で言われ、

その方向へ行ってもJALの関係の人がいるわけではなく、
そこにはCATHYのカウンターがあるだけ。

何が何だかわからずに再度戻ってトランジットのカウンターで
「わたしはベトナム、ハノイへ行きたい。どこへ行くべきですか?」
と先に頭の中で組み立てた英語を言って、尋ねました。

するとまた同じように、
「ここではありません!あちらの方へ!」
と言われたので、

今度は仕方なく意を決してCATHYのカウンターへ行きました。
そして同じように、
「わたしはベトナム、ハノイへ行きたい。どこへ行くべきですか?」
と聞くと、
「ここで良いです。パスポートを・・・・」
となりほっと一息。そして無事トランジットの手続きを終了することが
できました。

そして斜め向かいのところで手荷物検査を終えてそのまま出ると、
その先が3方に別れており、直進方向にはエスカレーターがありました。

どちらへ行ったら良いんだろうと考えたのですが、どうもエスカレーター
以外の方向へ行くような雰囲気ではありません。

そこでエスカレーターに乗るべきか乗らないべきか迷ったたあげく、
「やはり聞こう」と決めて、すぐ近くで掃除をしていた人に英語で聞きました。

「ベトナムハノイへ行くには、どう行ったら良いのですか?」

「そのエスカレーターに乗りなさい。」

・・・まだまだ苦しい闘いは続きます。

2011年5月24日火曜日

◆第一ターム:独学開始、社内の英会話教室に時々出席 (3ヶ月)

2002年当時、会社ではアジアのいくつかに生産の拠点を作ったため、
そこへ赴任する人や出張する人のために、ネィティブ講師を外部より招き
入れ、社内で英会話教室を実施していました。

わたしはその時点ではほとんど英会話ができないに等しかったため、ベトナム
へ行くための事前準備として、その教室に参加をすることにしました。

追加募集で英会話教室に参加したい人の数が多くなったので、全員一緒では
なく5~6人のグループで4つに分けてやるようになりました。

参加している人はみな似たようなレベルで、誰もみな恥ずかしがり屋なのか、
初めのうちはなかなか自分から進んで話そうとはしません。

それで講師が質問を出してから答える人を指名して、ようやくおそるおそる
話し出す・・というのがその頃の状況でした。

なかなかうまく話せないので出席するのが少し苦痛だったのですが、何とか
気力を振り絞って週に2回程出席し、約3ヶ月間続けたあと、ベトナムへ
向かいました。

その時習ったことはほとんど記憶がないのですが、その頃のことで記憶に
残っているのは、

・簡単な短文しか話せなかったので、接続詞を使えるようになり、文を
  つないで少し長く話せるようにしようとしていた。

・使いこなせる副詞を増やしたいと思っていた。
<例> generally 一般に  ・・など。

・~のとき(when ~)、~したあとで(after ~)を使えるようになりたく
  て、これらの用法にかなり意識していた。

という、あたりです。

ですが、まだ他人の引いたレールの上を、他人が作ったペースで歩いていくだけ
・・・と言った感じでの取り組み状況でしたので、この3ヶ月間程度の参加では
あまり大きな成果があったとは思っていません。

まあ、しいて書いてみると、下記の通りとなります。

成果:
  ・へたくそな会話ですが、ネィティブ講師(カナダ人)と話すことで、今までは敬遠
    していた ネィティブと話すことに慣れた

  ・まだまだ会話は苦しくて、終わると 脳内に疲れ た感じに

会話能力:
  ・自己判定値: 20/100点

2011年1月18日火曜日

◆家庭教師との勉強方法(in ベトナム)

前の記事で週1~2回、日本人スナックへ行きお酒を飲みながら横に来た女性と英会話の練習をしたと書きましたが、時々は文法などについても教えて欲しいとも思っていました。それでその中の一人に「できたら日曜日に家庭教師をしてもらえませんか?」と聞いてみたら、すぐに「いいわよ!」と引き受けてもらうことができました。

その女性は大学を出たばかりで、途中台湾へ6ヶ月ほど留学しアメリカ人の講師より英話を学んだとのことで、まったくなまりが無くて発音が良かったからです。

そして費用ですが、通常ネイティブの家庭教師だと1時間10ドルくらいなのですが、彼女に「1時間いくらで教えてもらえますか?」と聞いてみると、「3ドルでどうですか?」というので、あまりにも安いので思わず「それじゃあ5ドル出しますのでお願いします。」と言ってしまいました。ということで決定し、次の日曜から始めることになりました。

日曜の朝9時にマンション付近の場所にバイクで迎えに来てもらい、他の同僚に見つからないようこっそりと後ろに乗せてもらって出発です。マンションから十分離れた喫茶店の2階、もしくは3階のベランダの席へ行き、そこで彼女が持ってきた英語テキストのコピーを広げ、英語の勉強を行いました。

毎回甘い香りのするベトナムコーヒーを飲みながら約1時間文法の勉強をし、残り1時間を質疑応答やフリートーキングするという進め方で行いました。終わったらローカルの食堂へ移動して一緒に食事をし、食べ終わったらまたバイクの後ろに乗せてもらい、マンションまで送り届けてもらい終了するというやり方でした。

9時~1時頃までの合計4時間を一緒にいるため、その間はまったく日本語を使わないということになります。これもとても良い訓練になったんではないかと思います。

ある時一緒にテーマパークに行きそこのボートに乗って英会話の勉強をしたとき、家庭教師をしてもらい始めたときには連続で5~6分くらいしか会話ができなかったのですが、そのときは楽に30分以上話せるようになっていたのに気づき、とてもうれしかったことを覚えています。

ただ英会話を机に座って勉強するというのではなく、話しをしたくなるような、また質問をしたくなるような相手がいて、更には体を動かし行動しながらいろいろな体験を重ねながら勉強をするということが、とても有効なのではないかと思います。

これでベトナム編を終わり、次は「日本での効果大きかった勉強方法」について書きたいと思います。

2011年1月17日月曜日

◆ベトナムで実践した勉強方法

ベトナムで3ヶ月半の間英会話に取り組み、初めて少しだけまともな英会話ができるようになった訳ですが、今日はその時の勉強のやり方がについて書きたいと思います。ズバリまとめてみますと次の通りです。

1)中学英語の基本中の基本文を毎朝起きたらすぐに音読。3回繰り返し。
5分/回程度で。
・これは結構重要と感じています。まず自分の中に会話トライするときのベースとなる基本の文を作ることになり、これがないと応用編がトライできません。(そのときの実際の文章を後日アップしたいと思います。(アップの仕方を勉強してからです))

2)実践トライ
・週1~2回お酒を飲みながら会話練習(日本人スナックやクラブで)
・週1回日曜に家庭教師と勉強(日本人クラブ女性)
(主に文法と質疑応答、間違っている表現の修正、指導)

3)復習
・実践トライの時、言いたくて言えなかった表現について復習、文章作成
(単語や例文を調べ、自分で文章を作ってみる。そして次回再トライ)

この3点です。これを1週間サイクルで回しました。

そしてこのやり方で良かったと思うのは、

1)楽しいから続く。
(若い女性に教えてもらうので楽しい。プライベートの席なので身構える部分なく気楽に話せる。また相手が欧米人でもないので更にリラックスしてできる)

)口惜しいから復習する。
(言いたいことを言えなかったことが口惜しく、次に必ず通じさせて聞き直したいから復習です。このように強い感情が伴っての勉強は、記憶にとてもよく残ります)

3)相手があるので臨機応変に話す訓練となる。
(何か質問をした場合、相手の返答に応じて更に自分が答える必要があります。それが臨機応変に話をすることの良い訓練になります。許される時間内に必ず何かを答えなければならないからです)

の3点です。

これをみっちり3ヶ月半やったおかげで、自分も(少しだけ)英会話ができると言えるようになりました。そしてこのことが海外旅行のときや海外出張時に随分と役に立ちました。そちらについては追々と書いて行きたいと思います。

次は「家庭教師との勉強方法」について書きたいと思います。

2011年1月16日日曜日

◆ベトナムでの英会話実践

ベトナムはわたしの英会話取り組み歴の中で、特に思い出深く記憶に残る場所です。それは何かというと 「やっと少しだけまともな英会話ができるようになったと初めて感じた場所」 だからです。

まず結論から先に言いますと、
〈ベトナムへ行った頃〉
・頭で文を組み立てて終わってからそれを話すというレベル。
・典型的な翻訳人間で、文章を日本語で考え、翻訳し、終わったら話すというやり方。
・連続しての会話ができない。テンポ良く会話のキャッチボールができない。
という状態でした。

それが
〈3ヶ月半後〉
・連続して30分以上話せるようになった。
・あまり日本文を使わず、英文を少しずつつなげながら話せるやり方がわかってきた。
・友達とテンポ良く会話できることがものすごく楽しいと感じれるようになった。
からです。

もちろん英語苦手、コンプレックス人間が、曲がりなりにも生まれて初めて30分も英会話ができるようになったため、かなり気持ちが舞い上がって強い印象が残ったのかも知れません。

とにかく3ヶ月半の間ある勉強方法を継続したことで、自分の英会話力が大きく延びたのを感じました。そして英会話ができるようになると積極的に人と話すことができ、友達も大勢作れるようになり、何よりも 会話することが楽しいと感じれるようになりました。

次は「ベトナムで実践した勉強方法」について書きたいと思います。